神田川中流域とその支流 2012/4/1  
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 長い冬があけた4月1日、雑司が谷駅の深いホームから地上に出ると、そこは温かい日差しに包まれていました。

 前日の強風がうそのような穏やかな日、ゲスト2名を含む20名で出発します。
 まずは大鳥神社へ。境内には弦巻川を暗渠化した歴史を刻んだ石碑があり、水質悪化により伝染病を防ぐため暗渠化したと書かれています。
 日本地図センターの「東京時層地図」を使って、変遷を見てみましょう。
 明治10年代の2万分1迅速測図だと、鬼子母神横から北西へ弦巻川が流れているのがわかります。
 弦巻川が暗渠化されたのは昭和7年(1932)ですので、昭和30年代の1万分1地形図だと、かすかに川に沿った建屋が読み取れます。

 次いで弦巻川の暗渠化と同じ昭和7年に竣工した千登世橋へ。元ゼネコンの神田さんの解説がさえわたります。
 都電荒川線を跨ぐ千登世小橋のあたりには湧水の流路があったようです。

 5mメッシュの段彩陰影図だと、目白台地と関口台地の間のえぐられたような地形がよくわかります。

 のぞき坂は都内有数の急坂。関口台地と神田川の比高は20mほどあります。斜度も20%はありそうです。

 慈眼寺金乗院、南蔵院を経て面影橋で昼食。午後は、神田川左岸を歩きます。
 このあたりの区境が入り組んでいるのは、神田川の蛇行によるものです。

 神田川の桜は一分咲き。ここの河川改修は高度経済成長前夜に行われたので、環境や眺望まで気が回りませんでした。
 イケイケどんどんのころです。

 川沿いは、かつて染色が盛んでした。「東京染ものがたり博物館」を訪ねてお話を伺いました。染め物体験も行なっているとのことです。

 関口芭蕉庵から椿山荘、江戸川公園を経て江戸川橋へ。
 ここが、弦巻川と水窪川が神田川に合流する場所です。
 下の写真の右上は暗渠となった水窪川の合流口。写真右下は今宮神社。住居表示法適用前の音羽一丁目から九丁目の神輿倉庫があります。

 水窪川の旧川床を上流へ歩きます。東側の台地上には、鳩山御殿があるはずですが見えません。

 文京福祉センター前で目白通りを渡り、弦巻川跡へ。首都高下には川のモニュメントがありますが、これはダミー(笑) 下水のマンホールの位置から、目白通りよりの路地が川跡だと推測できます。

 護国寺では桜がお出迎え。今日の暖かさで一気に開花したのでしょうか。ちょっとしたサプライズです。

 富士見坂のバス停から川跡に戻り、"いかにも" の路地を進みます。
 あっ、何か見つけたようです。川への配水口でしょう。
 通りを横切って、川跡が続きます。

 今は東池袋五丁目ですが、1970年までは西巣鴨一丁目でした。ちなみに、町村制施行時(1889年)は巣鴨村大字巣鴨、当時の池袋は巣鴨村大字池袋。
 路地脇に水窪川の碑
   「昔ここに小さな川が流れていた 後世にこれを伝える 1986年」
 都営荒川線を渡ると造幣局の排水口跡があります。

 源流部が近づいてきます。2万分1迅速測図の川の描写もそろそろ終わりですが、田圃が続いているので水は流れていたことでしょう。

 まもなく、最終局面ですが、ふざけたことに高橋と鈴木君は東池袋大勝軒でつけ麺を食べるため、ここで離脱。どなたか、画像と記事をお願いします。


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