麻布我善坊と愛宕山 2024/4/10

神谷町駅(麻布台ヒルズガーデンプラザ)→西久保八幡神社→森JPタワー(34Fスカイロビー)→中央広場→旧芝神谷町→愛宕山(NHK放送博物館、愛宕神社、測量点など)→環状2号(新虎通り)→共同通信社→カレッタ汐留(46階展望スペース)→新橋駅
11:00 集合。今回の参加者は10名。かつての神谷町の姿をご存知の人も何名かいました。我善坊谷を一変させる麻布台ヒルズは、長い地権調整を経て、2019年8月に着工。2023.11.24に開業しました。
麻布台ヒルズガーデンプラザ前からスタート。
西久保八幡神社。1000年ごろ霞ヶ関あたりで創建。室町時代後半(C15後半)太田道灌がここへ移したと伝えられています。境内には西久保八幡貝塚があります。氏子は、虎ノ門、赤坂、霞ヶ関、麻布。「西久保」は現神谷町駅周辺にあった地名。由来は、愛宕山の西の窪地か。
雁木坂を上り、我善坊谷へ下る三年坂の途中。麻布小学校OBのNさんの解説。
1/3000「日比谷」「芝」東京都首都整備局(1968)
麻布台ヒルズ森JPタワー、33,34階のスカイロビー全容。一般公開はまもなく(2024.4.17)終了。
森JPタワーは地上64階、地下5階、高さ325m。あべのハルカスを抜き、現在日本で最も高い建物です。ただし、スカイロビーは高さ150mくらいです。
富士山と六本木ヒルズ。
麻布台ヒルズ中央広場。
中央広場で休憩。
我善坊谷の北、今回の開発の外にあたる台地上の仙石山町会図。兵庫県にあった出石藩仙石家の屋敷があったことに由来します。
1/5000 東京図測量原図(明治初め)
我善坊の高低差がわかる干渉色高低図。
桜田通り(国道1号線)を渡り、1930(昭和5)年に完成した愛宕隧道。当時の新聞報道によれば、「東京市長を含めた約500名が参列して通り初めを行った」とあります。
愛宕山へはエレベーターで上り「NHK放送博物館」1956年、NHK発祥の地、愛宕山の東京放送局旧局舎に開設。現在の建屋は1968年に建設。
愛宕神社は江戸防火の守り神として、1603年に徳川家康が創建。愛宕山は自然の山としては23区最高峰。氏子は新橋5、6丁目、西新橋2、3丁目、愛宕1,2丁目。ここには、時代を通しての測量遺構が残っています。
社殿正面に三等三角点(25.7m)、ICタグの付いたインテリジェント基準点。
池の中に測点(日本最古の三角点 25.93m、1872年:明治5)内務省地理寮時代のもの。
「測点」は工部省測量司~内務省地理寮が、1872年に府下13か所に設置。
内務省:地理局雜報(1879)では、几号水準点を兼ね「芝愛宕山三角測點石上面 25.4296m」とありますが、2022年の水抜き調査では、「不」の刻印は見つかりませんでした。
(参考)小田原市小八幡の測点。(2023.6.10 撮影)
起倒流拳法碑(きとうりゅう:武道の流派)には几号水準点。右は櫻田烈士愛宕山遺蹟碑。水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門で大老井伊直弼を討ち果たした。「桜田門外の変の集合場所」です。
半分埋まっています。ここは "T" 符号。内務省:地理局雜報(1879)「芝愛宕山安永八年二月ト記シタル碑ノ臺石横面T符ヲ彫ル 26.2361m 」
有名な「出世の石段」は、家光の前で四国丸亀藩士の曲垣(曲木)平九郎が馬で駆け昇ったらしい。我々は、エレベーターで上り、右の緩い石段(女坂)を下るという出世とは無縁の経路をたどりました。
1/3000「日比谷」東京都首都整備局(1970)
愛宕山を下り、「新虎通り」を共同通信社本社ビル(右の三角形)へ。マッカーサー道路と呼ばれることもある環状2号線。東京五輪2020で選手村とスタジアムを結びました。国家戦略特区(国家戦略道路占用事業)として認定されています。「東京シャンゼリゼプロジェクト」とうたっていますが、いくぶん無理目の気がします。
共同通信社本社ビルでは、Sさんによるニュース原稿を伝送した漢テレ・システムの解説。
最後は、カレッタ汐留(電通本社ビル)46Fの展望エリアから。2017.10の巡検時にはあった築地市場は更地に。
1/3000「日比谷」「永代橋」東京都首都整備局(1970)
麻布台ヒルズ着工時の鳥瞰図(Google Earth)